どうも。OL見習いちゃんです。

働きたくない20代崖っぷちのうだうだ就活ろぐ、からの労働奮闘履歴。

就活終わりかけのときに書いてみる

こんばんは。OL見習いちゃんです。

 

面接がありました。

 

実感としてはこれでわたしの就活は終わりではないかな、というところがあって、

 

まあ自分のメンタルのためにやる良いのか悪いのかわからない思考の癖かもしれないんですが、ちょっとダメ元であったこともあるし、やりたいことというよりは現実的な面での魅力に惹かれていたところだった、という考えがあり、そこまで辛くはないです

 

しかしまあそれでも、祈りの2文字を見たら凹んじゃうと思うので今のうちにポジティブに思い出話でもできたらなと思い筆を、いや指を動かしている次第です。多分終わったらまた違う総括すると思うけど。

 

長かった、んでしょう。それはまあ誰が悪いとかはないです。広義的にわたしのせいですと言う気はないです。感謝はするべきです、両親に。

 

スタートは2年前の5月。大学3年のそこそこあったかい日。当時ブリーチして明るくしていた髪を黒スプレーで全部隠したのが落とすのも含めて大変だったのを覚えている。スプレー余ってるけど多分2度としない。ウィッグを買います。3年の5月ってそこそこ早いよね?という自負心で就活なんてしたくないという私を必死に宥めた。この時はあまり繰り越す気はなかった。きっちり4年で出てやるとまだ思ってたはずだし、その約束をして留学を申し込んだ気もする。あっ、申し訳なくなってきた。

 

二子玉川なんて蔦屋家電が出来たときに家族で行った以来。2015年だってよ。そんな昔じゃ無かったんだね。おしゃれな街に没個性的なスーツ集団が介している様を滑稽だと思ったり、しかし自分もその1人だと我に帰って渇いた笑いをこぼしたり。カップル多くて凹んだのめちゃくちゃ覚えてる。カップルで就活。

 

3社くらい見たっけ。見なかったっけ。その中で1つ気になる、というかなんか人事が優しかった会社のインターンに行った。8月終わり。数日後には留学するのに、よくもそんなときに行ったな。だから準備がドタバタになるのだよ。だからスーツケースが壊れかけてることにも気づかないのだよ。

 

ITだった。ITとかその時は未知の世界。興味があったかすら覚えてない。無かったからポジティブな思い出がないんだろうけど。人は2年で変わるね❗️わら

 

なんてったって印象に残ってるのは

①同じチームのメンバーがミスターコンのミスターだった

②わたし「語学力は足しになりますか(意訳)」会社の人「通訳雇えば良い話だからならない(意訳)」で凹んだ

の2点くらい。ミスターなんて顔忘れた。顔忘れてどうするんだよ。

 

そこからわたしは留学する。した。したんですよ。

 

一応きっちり4年で出てやるという考えはまだあった。なんでだろう、やっぱり約束したからか。学費がもったいないからか。友人と一緒の年度に会社員になりたかったのか?

 

から留学先からできる範囲のことをした、はず

 

時差を計算してオンライン説明会受けたり

博物館のカフェで手書きES書いたり

コピー屋に行って印刷機と格闘したり

思い出はそこそこある。今だから笑い話になる。

 

ここでも留学しながら日本の就活をしていることを自尊感情になんとか仕立て上げて、なんとか自分を諫め。

 

でも自分の身一つで突っ走るものではないのだと学んだ。それは次生かせたとおもうからいいんだけど。

 

長かった、のかなあ?

 

自分で言うからいいのであってそう他から評価されたら未来永劫縁を切るが(急に過激)結構チートだとも思うので長かった辛かったと弱音を吐くに値するのかはわからない。

 

終わったら前髪が切りたいし髪を染めたい。ずっと言ってるな。

 

終わって欲しいとあんなに思っていたのにいざ終わるとなるとどこか不安なのはなんでなのか誰か教えてくれたらいいのにな。